少し、期待していたのかもしれない。



 目が覚めたら、すべてが日常に戻っていて。自分の部屋で、ちゃんと着替えて寝ていて。

 ああ、なんてリアルな夢だったんだろうって、それだけで済むことを。





「……ん」




 目をこすりながら、怠い身体を起こせば、そこは寝る前と変わらない掘っ立て小屋。

 辺りは真っ暗で……朝に寝たから、おそらくその日の夜まで寝ていたのだろう。


 今、何時だろうか。時間的な感覚は、全くと言って良いほどなくて。目をこらして、明かりになるようなものを探すが、分からない。



 中途半端に寝てしまったせいで、動く機会を逃した。夜、街に向けて歩き出すのはあまりにも恐いから、とりあえず、明日の朝、日が昇ってから動き出そうと考える。


 と。

 湧き上がってきた悪寒に身震いを一つした。





 そう、それは。

 人間である限りは、絶対避けて通れない生理現象。








 ……ヤバイっす。


 トイレ、行きたくなってきた………。

















狭間での出会い














 もちろん、小屋にはトイレなんてない。


 ということは……ここでするわけにもいかない。


 肩で大きく息を吐き出しながら、とりあえず立ち上がって、扉に向かって歩き出す。



 ……外、しかないよね。





 いつも、ゲームなんかやってると、旅を何日もする人間たちは、トイレはどうしてんだろうかと不思議に思うことがあるけれど。映像でトイレの画像はあっても、そういうシーンは皆無だし。

 実際の人間がファンタジー世界を何日も歩いて旅をする、なんてことになったら、当然……茂み、とかになるんだろうなあ。男も女も。

 男ならまだ良いけど、女は大変だよね。それとも、便利な旅グッズが開発されていて、そんなの問題ない状態だったりするんだろうか。

 当たり障りなく、とめどなくくだらないことを考えながら、扉に手をかけて外へ出る。

 月明かりに淡く照らされた外は、小屋の内部よりも明るくて。けれど背の高い木々に阻まれ、月がどの方向にあるのかは分からなかった。

 ぐるりと辺りを見回して、意を決してある一点に突き進んで、しばらく歩く。そして立ち止まり、おもむろに服に手をかけた。


 生涯、きっとこれが初めての貴重な経験なんだ……と無理矢理に自分を納得させて、生理現象に押し負ける結果となったあたしは……力を抜いた。





 …………。

 ……――――――ほ。



 済ませてから、手短な葉っぱを謝りながら一枚ちぎって拭いたが、それでも不快感は拭えない。とりあえず服を着てから、小屋へと戻ったが、気持ち悪いことこの上ない。


 そこで。

「あれ?」

 小屋の前まで戻ってから、小屋の前に水道があったことに気が付いた。



 あ、なんだ。そういえばここに蛇口があったじゃん。
 ってことは、水が出る?

 わざわざ、水がめの水なんて飲まないでも、こっちの水を飲めば良かった。


 服に水がかからないような位置に立ってから、蛇口を捻ると……。


「熱っ!!!」


 流れ出てきたのはなんと……お湯だった。

 ってか、加えて独特の異臭が漂ってくる。硫黄の匂い。温泉?



 飲めないじゃん……とがっくりと項垂れたのは一瞬で。あたしはピンときて素早く顔を上げた。






 でも……身体が洗える!?


 こんなところで誰かに見られたりでもしたら恥ずかしいけれど、このベタベタな身体をどうにかしたかった。それに、不快感もさっきから拭えないし。

 湯を再び触ってみれば、熱いが我慢できなくもない。

 けれど、拭くものがない。濡れたままパジャマを着て寝れば、風邪をひくこと間違いなしだ。餓鬼じゃあるまいし、そんなこと分かりきっているのにするべきか。

 無意識に何かないだろうかと身体に手を伸ばしたその時、上着のポケットの中に、ハンカチがあることに気が付いた。


 ラッキー!!


 小さいが、贅沢は言ってられない。とりあえず辺りを見回して、誰もいないことを確認してから、あたしは蛇口を捻ったまま、小屋の前で服を脱ぐと、まず一通り身体を洗った。


 湯気が立ち上り、視界を埋め尽くす。ここに湯船でもあって入ることが出来たのなら、きっと気持ち良いんだろうなあ……。

 しゃがみこんで、一通り身体を洗い終えて。ぼんやりと空に立ち上る湯煙を見つめながら、大きく溜息をついた。



 まさか、自分がこんな体験をするなんて、日常生活の中では有り得ないと思っていたのに。

 なんでいきなりこんなところで、半サバイバル生活なんてしなきゃなんないんだろう。

 あたしが何をしたっていうの? つまんない日常に、そりゃ文句の一つも言ってきたけれど、会社は真面目に行ってるし、ちゃんと働いてるし。代わり映えのしない一日を何回も繰り返して、流れる時間に身を任せていたっていうのに。



 ……唇を、噛み締める。

 涙腺が緩んできて、あたしは咄嗟に目頭を押さえてから、蛇口捻って温泉を止めた。 




 ここで泣いたら、ダメだ。

 感情に身を任せたら、きっと、叫んでしまうから。


 ……寂しい、と。

 そして、あの日常に帰りたいと。




 最近は、恋人と呼べる相手もいない生活だったけれど、友達とは、それなりに遊んだりもしていた。適当に一日を過ごせば、適当に生きてこれた。

 夢を追って、がむしゃらに勉強した若い頃の情熱はなくなっていて。

 ダイエットに励んで、友達と盛り上がるのは一瞬で。それでも、過ごす時間だけは楽しくて。

 うんざりとする上司のお小言に付き合わされる誘いも、大人の付き合いなのだからと自分に言い聞かせたこともあった。



 ……たった一日しか離れていないというのに、すべてが遠く感じる。




 小さなハンカチで身体を拭いてから、パジャマをまた着る。キレイな洋服に着替えたかったけれど、贅沢も言ってられない。汗を流せた分、さっぱりと出来た。


 そのまま小屋の前でしゃがみこんで、あたしは夜空を見上げた。このまま寝た方が良いのだろうけれど、目がやけに冴えていて。寝付けそうになかった。



 そこへ。




「……何者だ?」




 男の声が、どこからともなく響いてきた。




「ぎゃあっ!?」

 いきなり届いた声にびっくりして立ち上がり、辺りを見回すけれども、人影なんて闇に飲まれて全く見えない。


 大きく目を見開いて凝視するも、何も捉えられない。


「こんなところで何をしている?」
「何してるって……道に迷ったから、街へ向かってるの。そういうアンタこそ、こんなところで何してるの?」


 空耳じゃなかった。こんな夜中……っていっても、時間なんて分からないけれど……森の中をフラフラしてるなんて、絶対正気じゃない!

 もしかして変質者? っていうか、いつからいたのかな?


 ……え、と。


 裸、見られたなんてことは……ないよね?



「……湯気が見えたからな。偵察だってばよ。……オイ。こいつ、本当に迷子みたいだぞ?」
「らしいな」


 へ!? 声が二つ?



 別の方向から全く違う声質の男の返事が聞こえて、あたしはきょろきょろと首を回した。が、黒一色の景色は変わらない。


「何なの!? 誰!?」


 次の瞬間。

 ザッという音がして。目の前に……2人の男が立っていた。




 闇に溶け込む黒ベースの衣服。深緑のベスト。右の足にはホルダーを巻いて。

 同じ格好。でも、どっかで見たことがあって。

 ……どこだっけ?



 両方、20歳前後だと思われた。一人は金髪。一人は黒髪。額あてをして……って、額あて!?

 と、今どっぱまり中のNARUTOの話を思い浮かべて、はたと気付く。


 そうだ! この衣装! NARUTOの忍装束そっくりだ! だから額あて。なるほどね!



 しっかし、こんな森の中で、こすぷれまにあ!?



 淡くぼんやりと見える男達の顔を、まじまじと凝視してしまった。

 ……こんなに格好良いのに……。

 2人は、実に対照的。雰囲気がまるで違う。金色の髪の方は、瞳が大きく、活発的そうで。黒髪の方は、落ち着いていて。


 まるで……ナルトとサスケのように……。



 別にコスプレが悪いとは言わない。あたしも、ああやって衣装を着たいと思ったこともある。でも、こんな真っ暗な森の中で、いい大人が最近はやってる少年ジャンプのマンガの、NARUTOみたいな格好なんてしなくても……。


 と考えて。


「あのっ!」

 考えるより先に、言葉が飛び出てきた。




 ……脳裏によぎるのは、一つの非現実的な可能性。




「なんだ?」

 黒髪の男が怪訝そうな顔をしてあたしを見る。


「あの、この先にある街って、まさか木の葉の里ですか?」

『木の葉の里』……っていう単語を言うのにかなりの勇気が必要だったけれど、絞り出すと2人はさも当たり前に頷いた。

「そうだが……」



 さらっと言い放った一言に………あたしは項垂れると同時に、頭を抱えていた。








 パラレルなんて、有り得ないと思ってた。

 そんなこと、起こるはずがないって、可能性さえ否定してた。

 だから、ここが地球という星のどこかで、日本という国が、確実にある世界だと信じて疑わなかった。

 僅かな確率さえも笑い飛ばして、この先にある安心感を得るために、真っ直ぐに突き進んでいたはずだったのに。






 その、0.0000001%でも。

 自分が、起こり得ないはずの体験をする可能性は、あったというのに。








「本当に……ここは、火の国……」


「当然だろう。木の葉の里は、火の国の忍里だ」




 ……ドッキリじゃないよね? サプライズとかじゃ、有り得ないよね?

 タチの悪い友達が、あたしを驚かせるためにこんな手の込んだことをしたとかじゃ、もちろんないよね?


 あ、でもあたしがナルトのことを好きだって知ってる、オフラインの友達はいなかったわ……。



 絶望の淵に追いやられているようで、あたしは混乱する頭を抱えて、自分に落ち着けと言い聞かせた。





 異世界。この2人の言うことに間違いないのなら、ここはNARUTOの世界だ。

 彼らがあたしを騙すために芝居を打っているのなら……まだ良いのに。




 遠くから見えた5つの顔岩。あれは……火影岩。

 扇状に広がっていた街は、ファンブックでの公式設定そっくりだった。

 ここへ来たことのない記憶、というのも頷ける。




 否定するなら、これが夢オチとか。

 でも、夢の中でこんなにリアルな感触、あってたまるかっての。




 ………間違いない。

 信じたくないけど……ここは、NARUTOの世界だ。








 神隠しにあったみたい。

 これが事実なら、元居た世界では、あたしは行方不明者扱いになるだろう。







 認めてしまえば、結構落ち着けるもので。街へ行ってもとりあえず元の世界には戻れないんだってことを、実感してしまった。




「おい、お前。名前、なんて言うんだ?」
「へ?」


 黒髪の男が、あたしの顔をマジマジと見ながら、名前を聞いてくる。女の子にかなりモテそうなその青年は、どこかで見たことあって……って、ホント、成長したサスケにそっくりじゃん。

 もしかしてと思って横の男の子を見ると、両頬に三本の痣。金髪に青い目。

 ……ナルトに似てる。



 でも、あたしが知ってる2人は12歳。この2人はどうみても20歳そこそこだ。ナルトとサスケなはずはない。



「もう一度聞く。名前は何だ?」


 あたしがぼうっとしていたことが気に入らなかったのか、サスケ似の彼が、苛ついた様子で同じ質問を繰り返す。


「……


 しぶしぶながらも答えると、サスケ似の男は舌打ちをした。


「特徴は似ているが……違うな」
「何が?」


 サスケ似の男の言葉に、ナルト似の男がきょとんとした様子で首を傾げる。


「ウスラトンカチが。昨日更新された行方不明者のリスト、見なかったのか」
「見たってば……ああ!」

 あたしを指差して、うんうんと頷くナルト似の男。

「そっくりだってばよ」
「ああ。だが名前が違う。別人かもしれない」
「とりあえず、保護して連れてけば分かるよな」

「……どうでも良いんだけど、それよりあんたたちは何者なの?」

 目の前で勝手に話を進めていく2人に、さすがのあたしも苛ついて声をかけると、2人は気だるそうに名乗った。


「俺はうちはサスケ」

 と、黒髪の男。

「俺は、うずまきナルトだってばよ。見ての通り、木の葉の忍」

 と、金髪の男。




 はい!?

 この2人。なんでこんな大人になってんの!?




「じゃあ今、大蛇丸の『木の葉崩し』から何年経ってんのよ!?」


 ………あーあ。やっぱしあたしの頭って、イッちゃってんのかなあ……。



 思わず声を上げると、2人が怪訝そうに表情を引き締めた。


「何故そんなことを聞く?」
「……へ?」


 サスケのツッコミに、半ば呆然と呟くと。


 自分が口走ったことを思い返して、あたしはぐっと唇を噛んだ。



 やっば。

 余計なこと言っちゃった。


「え、えっと……」
「知りたいなら教えてやる。6年だ。だが何故、そんなことを聞く必要がある?」


 6年……。随分、未来だな……。

 あたしが知っているのは、ナルトやサスケが下忍になってから、この木の葉崩しが終わり、サスケが攫われたゴタゴタの途中まで。その先のことなんて、情報としてない。でもここにサスケがいるってことは、あの件は円満な形で解決したの……?



 もし、ここが本当にNARUTOの世界なのだとしたら、マンガやアニメでは描かれていない世界ってことになる。



 いや、何より。本当に起きた出来事だったんだろうか。岸本先生が描いていたあの世界は。

 こうして忍がいる世界、そして地名まで一緒の国が存在するのだから、真実なことは確かなのかもしれない。けれど、物語が事実かどうかとなると、また別だ。



「や、あの……あたし、記憶喪失みたいで」

 これはホントだし。

「ここへ来る前のこと、全然覚えてないみたいで。で、『木の葉くずし』っていうのは覚えていたんで、聞いてみただけデス」


 どう考えても苦しい言い訳だったけれど、2人はそれ以上、何も突っ込んでこなかった。記憶喪失っていうのが利いたのかもしれない。

 2人でちらりと目線を合わせただけで、それに対しての返答はなかった。




 うっわー。でも超怪しまれてるよ。けど、まあ、仕方ないよねえ。

 第一、こんな森に一人でいること自体が怪しいもん。



 大方、これから火影様のところへ行って取り調べ……で、信頼されなきゃ追い出されるんだろうなあ。

 サイトでよくある小説のように、うまくいくはずなんてない。あんなもん、都合の良いように描かれたドリームなんだから。

 実際、一国一城をおさめる人間が、簡単に外部の人間を受け入れるはずがない。第一、ここは平和な世界ではないのだから。気を抜けば命を取られる。そんな緊迫した世界だ。


「……じゃ、とりあえず里へ戻ってみっか」


 ナルトがスタスタあたしに歩み寄ってきたと思った途端に、あたしは実に軽々と、抱きかかえられていた。


 ……お姫様だっこ、だった。



「ぎ、ぎゃあああっ! や、あたし重いし! いいって!」
「はあ? 軽いってばよ。それに、歩けねえだろ。その足じゃ」



 顔が一気に熱を上げた。心臓がばくんばくんいってる。半ばパニックになりつつ、降りようともがいたが、ナルトはあたしを抱えたまま木の上へと飛び上がった。



「!!!?」



 アニメやマンガで見たことはあったが、自分が実体験するとは思ってもみなかった。彼は、自分の身長以上もある木の枝に、軽々と乗ってみせたのだから!


 ホントに本気で忍なんだ!



「歯ぁ食いしばってた方が良いってばよ。舌、噛むぜ」

 

 サスケもあたし達のいる隣りの木に飛び上がってくる。



 ……夢でも、なんでもない。



 無意識にナルトへしがみついたあたしは、不規則な衝撃を受けながら、この時間が過ぎ去ることをただひたすらに待った。






 それにしても。


 街へ着けば、すべてが解決すると思っていたのに……。


 なんで、こんなことになっちゃったのか。


 溜息しか、出てこなかった。
























なんだかピュアな話とは程遠い流れになってますが、
ありきたりのパラレルを書きたくなかったといえばなかったんですが・・・。
この時は、色恋沙汰とは無縁の話だったんです。
が。
主人公、結局誰かに好かれてくれないと、
物語が成り立たないことに今更気が付きました。
あはは。



更新日時:2004.12.12
行間のみ修正:2012.9.18






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